四季

2014年04月20日号

福山人は「福山にゃ何もエエもなーありゃしませんで」と言い、お国自慢をせ何事にも自信がない。だが、それは何故なのか?その原因を知る人はいない△漫画物語「福山の歴史」の著者の中山善照さんは、歴史漫画「明治の凋落と栄光の回復・目覚めよ福山」を執筆中で、なぜ福山人がそうなったのかを分析している△福山人の自信喪失は明治の廃藩置県に始まり、それがDNAとなって今に伝わっているからだという△徳川幕府譜代大名の地で、西国鎮衛の地であった福山は明治政府から意趣返しか、ひどく冷遇された。明治4年7月、廃藩置県で福山藩は福山県となった。だが太政官布告で11月には深津県に、さらに翌年6月小田県と改称される。明治8年には岡山県に編入され、小田県は消滅、さらに9年に広島県に編入され現在に至っている△県都となるべき力があった福山は政治力と経済力を失い、備後の盟主から転落、貧しい町となって三流の発想しか持てなくなった。豊かになった今もこの三流意識が消えていないと中山さんは断定し、「明治の凋落と栄光の回復」を執筆して市民を啓発し、栄光回復の原動力としたい」と話している。(i)