㈱サンフレッチェ広島
社長 仙田信吾さん
新スタジアムは平和の象徴に

2023年08月01日号

福山ローザスと女子育成で提携

せんだしんご(68)

サンフレッチェ広島F・Cは1992年4月に創設された、Jリーグ発足時からのオリジナル10のひとつ。広島県や広島市、マツダ㈱、中国電力㈱、㈱広島銀行、㈱ダイイチ(現・㈱エディオン)など47団体の出資により設立された。運営会社である㈱サンフレッチェ広島の社長はマツダかエディオンから就任してきたが、前任者に続いて二人目の外部からの招へいであり、元民放マンの経営手腕に期待が寄せられている。

―放送界からの転身ですが

「報道の仕事をしたくてRCCへ入社しましたが、カメラとかアナウンサーとか、みな専門の勉強をした人がなる世界です。私にはそういう経験はなかったのに、フィルムを扱うニュースカメラマンとなって現場を飛び回り、記者もカメラも一人で全てできるようになりました。10年過ぎた頃に営業へ移り、番組の制作にもかかわるようになりました。それで作ったのが、日曜夕方からの『週刊サンフレッチェ』という番組でした。番組制作やイベントの運営などに関わってきましたが、2019年9月に、エディオンの久保允誉会長から声をかけていただき、20年1月に正式に社長就任となりました」

―広島のサッカーについて

今年のサンフレッチェ広島の選手たち

「広島はサッカー王国です。サンフレの前身・東洋工業時代(日本サッカーリーグ、1965年~)から数えると通算8度の優勝で、鹿島と並んでトップということからもわかります。そのルーツは、日本に最初にサッカーを伝えた英国海軍の伝統が江田島の旧海軍兵学校で息づいていたのに始まり、その後第一次世界大戦(1914—18年)で捕虜となったドイツ兵から技術を学びました。昭和22(1947)年に広島高等師範学校が第26回全国中等学校蹴球選手権大会で優勝しているのですが、原爆症を抱えながらの奇跡の記録です。メキシコ五輪(1968年)で銅メダル獲得時には代表18人中6人が広島、監督も広島出身の被爆者である長沼健さんでした。サンフレも2012年、13年、15年とJリーグで3度の優勝を果たし、その時の監督だった森保一さんは現在日本代表監督を務め、先のワールドカップで彼をサポートした日本代表のコーチも5人がサンフレ出身者でした」

「福山からも、日本サッカーを発展させた多くの先達が生まれています。森孝慈さんは浦和レッズ、石井義信さんは湘南ベルマーレ誕生の立役者でした」

―サッカー球団の運営については

「経営の神様稲盛和夫さん(京セラ創業者)をして、サッカーの会社経営は分からないと言わしめたほど難しいです。昨年はクラブ史上初めて売上高40億円を超えたものの、純損失が5億円ありました。Jリーグ3位、天皇杯準優勝、ルヴァンカップ優勝と好成績を残したのに、です。新スタジアムができた暁には経営は好転します。ただ、コロナ禍が最悪だった20年、サンフレッチェ広島は真水で広告費を伸長させた唯一のクラブでした。130日間の中断を余儀なくされて払い戻しをし、できれば寄付をとお願いしたところ、多くの方に応じていただきました。困ったときの広島県の皆様のサッカー愛に感激しました」

―育成型球団と呼ばれていますね

「資金力のあるチームと違い、私たちはスター選手を集めるのでなく、発足当初から育成型を目指しました。安芸高田市吉田町に全国からプロを目指す高校生を集めて、全寮制で鍛えるという方式を全国で初めて作り上げました。その結果、ワールドカップでも活躍できるような多くの現役選手や優れたコーチを輩出しております」

―女子サッカーチームも立ち上げられましたね

「女子サッカー(WEリーグ)の開幕に参加したオリジナル11の一員として、『サンフレッチェ広島レジーナ』を立ち上げました。中四国及び九州では唯一のチームとして活躍しています。また、福山市で中学生女子を対象にしたジュニアユースチーム『福山ローザスレディース』を運営・開講している〔一社〕RSスポーツクラブ(栗原真行代表)と、女子サッカーの普及・発展を目的に今年4月付で提携契約を締結しました。チーム呼称『サンフレッチェ福山レジーナジュニアユース』として、レジーナを将来支える人材の育成に頑張ってもらいます」

―新スタジアムもいよいよ完成間近ですね

新スタジアムの内観パース

「新スタジアムの完成は24年の開幕に間に合う予定です。このほど『エディオンピースウイング広島』と命名されました。平和公園を設計した世界的な建築家・丹下健三さんは、平和資料館―原爆死没者慰霊碑―原爆ドームを一直線に並べて平和の軸線とし、その北側延長線上に、サッカーのできる総合運動場を構想していました。スポーツに歓声を上げる声が平和を象徴すると考えていました」「新スタジアムは国内初の『まちなかスタジアム』です。地域活性化に役立つでしょうし、さらに客席とピッチの距離が8mと非常に近いことで、選手たちの迫力あるプレーや息遣いも近くに感じてもらえる、臨場感あふれる体験をしていただけると思います。男女合わせて年間35試合程度使うことになりますが、様々な利用も考えておりますし、魅力的なショップやレストラン、最新の体験型ミュージアムなどで、一日中いても飽きない複合型施設にしたいと思います。ますます県民のクラブとしてより親しんでもらえるようテレビ生中継を増やしますし、エキキタのJR広島支社跡地でのフットサルコート運営なども取り組みます。今回、県と市の予算に加え、広島商工会議所を中心とする民間寄付が目標額の10億円を大きく上回り、個人事業主を含む443社から18億円以上が集まり大変感激しております。また、生まれ故郷の府中市上下町には芝生の練習場も整備されました。何らかの形で利用して関わっていきたいと思います。これからも、皆様の応援をよろしくお願い申し上げます」。

▽㈱サンフレッチェ広島=広島市中区大手町1—4—14上田ビル2階、電082・259・3220

▽仙田信吾=1955年3月、府中市上下町生まれ。広島市立広島基町高校を経て、78年に中央大学法学部卒業。同年、㈱中国放送報道畑、その後は営業畑、2003年に東京支社長就任。07年に取締役テレビ局長、11年に常務取締役に就任。17年、RCCフロンティア社長、その後、同社会長を経て、20年より現職。