松岡病院・松岡巖理事長
阿部正精公の書を福山市に寄付
棕軒の名で詠んだ漢詩の書

2021年09月01日号

阿部家の子孫から畳表のお礼

阿部正精公の漢詩を詠んだ書

昨年創立100周年を迎えた医療法人賢仁会 松岡病院(福山市宝町5-32、松岡亮平院長、電084・923・0385)の理事長・松岡巖=いわお=さん(90)は、松岡家が長年所蔵している福山藩11代藩主で、幕府の奏者番・寺社奉行・老中を務めた阿部正精=まさきよ=公(1774-1826)が雅号「棕軒(そうけん)」の名で詠んだ漢詩の書を、このほど福山市に寄贈した。

松岡さんによると、父親で同病院を1920年に開院した松岡賢一さんが終戦直後、小林和一・福山市長(当時)と共に、老中・正弘公ら10人が福山藩主を務めた阿部家の子孫(東京の旧丸山福山町=現文京区白山=在住)を訪ねた際、福山の特産・備後畳表を寄贈し、そのお礼として今回の書が贈られたという。

松岡巖さん

正精公の書は、画家・董九如=とう・きゅうじょ(1745-1802)が田園風景を描いた「田家春望(でんかしゅんぼう)三図」を観て詠んだもので、掛け軸全体で縦2m10㎝、横90㎝の大きさになる。内容は次の通り。

恵風南畝暖 恵風(けいふう)の南畝(なんぽ=田地)暖かく
處々有春睴 處々(しょしょ)春睴(しゅんき)有り
翠柳續簷諍 翠柳(すいりょう=青々とした柳)は簷(ひさし)に續(つら)なり諍(あらそ)い
紅桃臨水飛 紅桃(こうとう)は水に臨みて飛ぶ
驅牛過草徑 牛を驅(おう)て草徑(そうけい=草の道)を過ぎり
荷鉏出柴扉 鉏(くわ)を荷(かつ)いで柴扉(さいひ=隠者の住居)を出づ
遅日小窓下 遅日(ちじつ=春日)小窓の下
抛梭織憂衣 梭(ひ=機織の道具)を抛(なげう)ちて憂衣を織る
★解題=田坂英俊さん(慶照寺住職)

同書を鑑定した福山城博物館の学芸員・皿海弘樹さんは「落款などから真筆に間違いありません。正精公は藩財政の再建につとめ、義倉を設立して凶作に対処し、文教も奨励した名君であり、殊に『詩書画三絶』と称えられるほどの文人的な才能に秀でた方です。今回寄贈していただいた書は、その才能がいかんなく発揮された貴重な作品です。大切に扱わせていただきます」と話している。