一燈照隅
総料理長・元嶋明朋さん
磨き抜かれた伝統技法

2023年02月20日号

日本料理の真髄を極める
一流料亭・播半で伝統の技学ぶ

究極の引き算料理と最高のおもてなし

日本の心を表すと言われている「日本料理」。日本料理の料理人として一人前になるには、徒弟制度の中で伝承されてきた技を、厳しい修行を経て習得しなければならない。

元嶋明朋(もとしまめいほう)さんは、漁師町で育った。早くに父を亡くし、母の手で育てられる。小さい頃から母が魚を捌く姿を見てきた。母の後ろ姿を見て「手に職をつけたい、いつか料理人になりたい」と考えるようになる。

一燈照隅

中学を卒業し高校に入学するのだが、「一日も早く、一人前の料理人になりたい」と言う強い意思を持って高校を1日で退学し、修行の旅に出る。

義兄の紹介を受け、松山市道後にある「ホテル春日園」で料理人として歩み始める。その後、西宮市の高級住宅地・甲陽園にあった一流料亭「播半(はりはん)」などで修行する。

播半には、最高峰の日本料理の伝統技法を継承した料理人達がいた。四季を感じさせる懐石料理が多くの財界人、文化人に愛され、昭和天皇や、現在の天皇皇后両陛下も訪れたことがある。かつて、調理界の東大と言われ、修行に入ることさえ難しかったという。

生きた魚を直接仕入れる

元嶋さんは、播半で厳しい修行する中で日本料理の真髄を究め、注目されるようになる。

その腕と経験を買われ昨年12月、㈱サックル(福山市伏見町1―22、石丸さなゑ社長、電084・920・1898)が出店した「一燈照隅(いっとうしょうぐう)」の総料理長に抜擢される。

─名料亭・播半で修行するようになった経緯は

「最初に勤めた春日園で下積みから八寸場を経て、師匠から魚仕事を教えてもらったのですが『魚について教えることはない、播半で煮方(煮物・鍋)について学んで来い』と言われ、播半で修行するようになりました」

─どんなことを学びましたか

「板前の仕事は分業化されていて、段階を踏んで学び、全体を知る事ができます。播半の伝統の技を知るために、経験があるにも関わらず、何も知らないと言って入りました。だから煮方だけでなく、日本料理の全容を知ることができました。周りが森で自然に囲まれていて、料理だけでなく、生えている竹を伐採して、箸や田楽の串、おちょこを作ったり、自然薯のツルについているムカゴや、沢ガニを捕まえて料理に生かすなど、自然と調和する大切さも学びました」

─元嶋さんが考える日本料理とは

「日本独特の風土と色彩を考慮して、地場の食材を使い、調味料に頼らないで、食材が持っている本来の旨みを生かすことだと思っています。昆布・鰹を使うと、食材が持っている本来の味が生かせません。極限まで調味料を使わない『究極の引き算料理』が、日本料理の真髄だと思っています」

─究極の引き算料理について詳しく

「2つのポイントがあります。ひとつは野菜や魚、肉など食材が持っている本来の味を生かすため、極限まで調味料を削ることです。もうひとつは、お客さんの口に入るまでをイメージして逆算し、火の入り方、素材の固さを計算しながら、味を微調整し、自分のイメージしている食感と香りで食べて頂くということです。無駄を省いて美味しく食べて頂き、健康になってもらいたい。より良いもの出すための手間暇を惜しまない。人が出せない味を出さないと一燈照隅をやっている意味がないと考えています」

─食材はどこから仕入れていますか

「魚は岩船水産(福山市沼隈町)から仕入れています。桟橋の生け簀に、漁師さんが捕った魚が生けてあり、目で確かめて持ち帰ります。野菜は産地、生産者が分かるものを使っていますが、将来的には、直接農家から仕入れるようにしたいと思います。魚、野菜共に鮮度を大切にしています」

一燈照隅
福山市同市昭和町7-10てしおがわ内、電084・926・0032。
会員制で、会員の場合料理は1万1千円から。
Makuakeで応援プロジェクト実施中。

元嶋明朋=1962年11月25日生まれ。熊本県牛深市(現天草市)出身。73年牛深中学校卒。78年㈱ホテル春日園入社。82年合資会社播半箪瓢庵入社。89年ニュー錦水インタナショナルリゾート入社。2001年㈱ジン・ダイニング入社。22年一燈照隅・総料理長。