ワイド岡山
平成の「備中大返し」
ウルトラマラソン実施される

2017年07月10日号

備中高松−京都山﨑を3日間で走破する
 備中高松城を水攻め中の羽柴秀吉が明智光秀謀反の報を受けて急きょ全軍で京都へ取って返した戦国時代の事件が「備中大返し」。世に名高い強行軍を再現するウルトラマラソンが6月23日−25日に実施された。

京都山﨑にゴールインしたランナーたち(高畠浩氏撮影)

 ウルトラマラソンは公式のマラソンコース(42・195㎞)を大幅に上回る60㎞からときには千㎞を超える距離を走破する鉄人レースだ。一般道路を封鎖して行うマラソン大会は行政主導とならざるを得ないが、ウルトラマラソンの多くは民間団体が主催する。「平成の備中大返し」はランニング愛好家団体「ウルトラソウル」岡山支部のメンバーが中心となって1年前から計画し、秀吉の軍勢が10日を要した備中高松から京都山﨑まで約220㎞に及ぶ道のりを3日で走破する準備を整えた。当日は全国から26人のランナーが参加したがそのうち岡山勢は5人で、地元メンバーの多くはチェックポイントの管理などサポート役に回った。

二夜を走り抜く
 ランナーは予定通り6月23日正午に備中高松城址をスタート。全員が過去に150㎞以上のウルトラマラソンを走破した経験がある30歳代から60歳代のベテランで、飲料や携帯電話、地図、懐中電灯などが入ったリュックを背負っている。草履に似た足元の参加者もいたが必ずしも史実を再現したわけではなく、長時間走行に適した履物を自作した結果だ。
 第1チェックポイントの日生では地元住民の盛大な応援があり、多くのランナーが名物カキオコの店で食事と休憩を取った。超長距離走は膨大なエネルギーを消費するのでレース中何度も食物を摂取する必要があり、トップを目指す以上に道のりの途中を楽しむのが通常のマラソンとは異なる点だ。姫路城を観覧し、その様子を写真に撮ってフェイスブック(FB)に投稿するメンバーもいた。
 ウルトラマラソンにおいて携帯電話は必需品で、自分の現在位置やコース情報が刻々配信されてくる。ペースはばらばらなので画面上の位置情報を頼りに一人で走る場面が多く、1日に何度もFBに投稿することが自分の状況をサポートメンバーに伝える手段ともなる。
 夜が更けるとあらかじめスタッフが許可を得て駐車場などに敷いたマットで眠るか駅舎などで仮眠を取る。2日目は雨になったがウルトラマラソンでは通常のこと。日曜には全員が京都山﨑にゴールインした。
 「光秀討伐記念」と銘打った打ち上げ会でははやくも第2回大会が話題となったが、大成功に終わっただけに次回は大幅に規模が拡大しそうなことがメンバー間では懸念材料となっている。現在は愛好家による趣味的なイベントだが参加人数が増えれば道路使用許可が必要となり、行政の介入によって内容が変貌することもありうる。今回取材協力頂いた高畠浩氏始めウルトラソウル岡山支部会員は、岡山の名物となるレースのあり方を模索している。

(写真)京都山﨑にゴールインしたランナーたち(高畠浩氏撮影)