ブームの礎を築いた朱華園
「本店閉店」を報道後の波紋
連日店先に記録的な長蛇の列
2019年06月20日号
郷土の観光事業にも影響
前号(6月10日号)で「ブームの礎を築いた朱華園 6月19日尾道の本店を閉店」と題した特集を報じて以後、各方面に波紋が広がっている。
一つは「このラーメンを食べられなくなるのか」と店先にいつにも増して長い列ができていること。もう一つは本誌が「本店を閉店」と報じたのに対して、朱華園が「本店はしばらくの間休業します」と張り紙を出したことの相違について「私たちはこの違いをどのように受け止めればよいのか」といった問い合わせが寄せられていること。
また「朱華園の閉店は地元の観光事業にとって大きな痛手になる」と困惑している関係者も少なくない。この号ではこうした疑問などに可能な限り応えながら、このまちで育まれてきた「ラーメン文化」のこれから展望などについて考えてゆきたい。(西亀 悟)
最初に記者(筆者)がどのような経緯でこの情報を得、取材して記事をまとめたかについて触れておきたい。
記者のもとに一報が入ったのは5月26日、当社の社長(西原 洋)からの電話だった。
その内容は「朱華園さんが閉店するとの情報が入った。経営者にしっかりと伺い、可能なら詳しい記事にまとめるように」との指示だった。
これを受けて翌日本店を訪ね、挨拶を交わした店員に社名と氏名を告げ「店主の檀上さんにお会いしたい。要件はお店の閉店についてです」とお願いすると、幸いにも取り次いで頂くことができた。
檀上さんに対面取材
その時店頭に入店待ちの客が居なかったので、玄関前に置かれたベンチに2人で並んで腰掛け、1時間ほど話を伺った。
最初に以前取材に応じて頂いたことへの礼を述べた後「朱華園さんが閉店するとの話を聞きました。本当であれば残念です」と切り出した。
すると、それまで柔和だった檀上さんの表情が険しくなり「どこでそんな話を」と聞いてこられたので「当社の社長が独自のルートで聞いたそうですが、その出所は社員の私にも明かされていません。ただ、私の経験上こういった話はやがて憶測が憶測を呼んで、事実と反する尾ひれが付いて広がってくることが多いです。ですので、今日は本当のところを教えて頂けませんか。閉店が事実であればその理由を伺い、記事にまとめて報じたいのです」とお願いして、取材が始まった。
それから一呼吸、二呼吸おいて檀上さんが語り始めたのが「松永店を閉店する準備を進めている」とのことだったので「本店の方はどうですか」と尋ねると、少しためらった後「こちらもその方向です」との答えが返ってきた。
続いて尋ねたのが閉店の理由であり、その内容を要約して掲載したのが前号の特集記事だった(当社のWEB版(https://keizai.info)でも公開)
最後に檀上さんから「この記事は何日頃出ますか」と問われたので「6月10日号ですが、6日から配布が始まります」と答えると「それでは当店もその頃告知の張り紙を出しましょう」ということになり、ここまでの礼を述べて取材を終えた。
廃業でなく再開へ含み
その後執筆に入り、過去に書いた朱華園に関する記事を読み返し、各方面に補足取材を行い、推敲を重ねて「本店を閉店」と題した特集記事が整い、あとは印刷を待つばかりとなっていた。
その頃檀上さんから電話があり「実は昨夜閉店後に従業員と話し合い、店を継続させる方向で検討を始めた。ついては予定している告知の張り紙の内容は『休業』となります。そうなると経済リポートの『閉店』の記事は誤報と受け止められ、そちらに迷惑を掛けることになるので、そのことを伝えたく電話をした」といった内容だった。
これを受けて「私も取材で閉店と聞いて、それを骨子とした記事をまとめてきた。ですのでにわかに改めることはできません。だとしても、檀上さんの方で状況が変わってきていることを重く受け止めます。ついてはここでその内容をつぶさに読み上げるので、それをもとに一緒に検討してゆきましょう」と応じ、読み進めると文中の随所に出てくる「閉店」を「休業」に置き換えてゆくと本編全体の整合性が崩れてくる。
中でも「閉店へ苦渋の決断」と題した中見出しに続き、檀上さんがその理由を語った箇所(前号6ページ25行~7ページ9行)に矛盾が起きてくる。
また、この文の最後に「檀上さんがあえて廃業という言葉を使っていないのは、再び店を開く含みを残しているようにも思える」の一文を添えており「これには休業の意も含むことになるのでは」と伝えると「それなら」と応じて頂き、発行に至った。
店に張り出された告知
そして、本誌の配布が始まり店頭及び店内に張り出されたのが右ページに載せた告知文で、その内容は「朱華園本店は6月19日〔水〕よりしばらくの間休業させていただきます」となっている。
記者はこの数行の短い文の行間に、檀上さんの「万感の思い」を感じ取った。
ここに至る経緯を百言をもって語っても、百字を費やして綴っても、自身の思いを伝え切ることはできなかったろう。
記者はある日、ある時間に取材で伺った話を記事にまとめたに過ぎず、その内容と告知文のいずれに重みがあるかは明白で、その告知をもってしても「しばらくの間」と留めているところに、再開に向けての檀上さんの「心の揺らぎ」を感じずにいられなかった。
報道後の凄まじい反響
この特集を報じて以後凄まじい反響があり、当社がインターネット上に掲載しているWEB版にはアクセスが集中し、サーバーが幾度もダウンした。その後SNSで拡散されるにつれて全国からのアクセスが増え、朱華園のファンが各地に広がっていることを改めて知ることとなった。
翌日店に告知文が張り出され、新聞各社、TV各局が報じ始めると店先に並ぶ客が一気に増えてきた。
上の写真は平日の6月10日〔月〕に撮影したもので、開店直後の午前11時10分にこれだけの行列ができていた。
店横の道路脇に並び切れず、隣家の南角から西側へ向けてL字型に列が伸び、その人数を丹念に数えると183人で、その光景を眺めていた付近の住人は「ここで50年以上暮らしているが、ここまでの行列はなかった」と驚いていた。
各方面から再開望む声
もとより、記者は朱華園の閉店を一過性のスクープとして報じる意図はなく、現状を踏まえて、このまちで育まれてきた「ラーメン文化」はこれからどのようになるのか。さらに観光事業に及ぼす影響などを腰を据えてリポートしてゆくことに主軸を置いている。
そのために、かつて連載したタイトル「尾道ラーメン繁盛記」を復活させ、紙幅の半分を用いてその全体像をリポートしたのが前回の特集だった。
発行後に業界関係者、地元の行政機関、市議会議員、観光協会など各方面から意見が寄せられてきている。
その中に〔一社〕尾道観光協会の会長、川﨑育造さんの次のコメントがある。
「この度の朱華園さんの報道に接し、大きなショックを受けています。尾道は『観る・食べる・遊ぶ・参加する』の4つを柱に観光事業を展開しています。このうち『食べる』の代表格が近海の新鮮な魚料理でありますが、それに勝るといっても過言でないのがラーメンです。郷土のラーメン文化の礎を築き、今日までの発展を牽引してきた朱華園さんの閉店が事実であるなら残念でなりません。店主の檀上さんにはいろいろと事情がおありでしょうが、何とか店の再開を果たして朱華園の”金看板”を守り、残してもらいたい。そしてこれまでのように尾道の観光事業の発展に寄与して頂くことはできないかと願っているところです。ぜひとも早い時期にお会いして、その気持ちをお伝えしたい」
檀上さんは独立独歩、孤高の経営者として店の運営に携わり、自前のラーメンのクオリティを高めることに情熱を傾けてきた職人気質の人ではないかと、記者なりの見方をしている。
それゆえ川﨑会長をはじめとする観光協会、地元の経済界、同業の人たちと交わる機会が少なく、各々が「檀上さんと胸襟を開いて話をしたい」と思っても、その糸口が掴めず二の足を踏んでいるようで、川﨑さんも今現在、その道筋を探っているようだ。
記者もそうした会合の実現を望んでおり、そのもようを報じることができれば、この連載はより意義深いものになる。