四季

2016年06月01日号

 福山町に市制が施行されたのは1916(大正5)年7月1日のことで、全国で73番目、広島県では広島、尾道、呉に次いで4番目だった▲当時、尾道の人口は約3万1千人、福山市が約3万2千人。ほぼ同規模だが、なぜ福山が発展したのか▲尾道と比べると福山は平野部が多く開発しやすい、それと当時都市の発展の要と言われていた軍隊(陸軍歩兵41連隊)があったからだ▲しかし道程は決して平たんではなかった。1918(大正7)年には米騒動が起こり、翌年大水害に見舞わる▲大正末期には41連隊の廃止計画が持ち上がり、市の財政破綻にも繋がりかねないと言われたが、陳情によりなんとか回避した▲福山市は周囲の村を吸収合併して市域を広げ、尾道市に替わって県東部の中心都市となった▲1945(昭和20)年の福山大空襲で市街地は壊滅的打撃を受けるが、戦後は高度経済成長の波に乗り不死鳥のごとく復興を遂げた▲その後、日本鋼管福山製鉄所の誘致により企業城下町として急激に開発が進んで人口が増加したのだが、近年人口は減少傾向にある▲8月に市長選があるが、市長には、駅前開発と企業を活性化など、福山市の発展させる実力がある人になってほしい。(i)