小川久志さんコラム2
「プラナカンと阿片」

2015年02月10日号

彼女は現代のインド系プラナカン

彼女は現代のインド系プラナカン

 プラナカンの生業は貿易・小売と文献・資料には記述されている。それ以上の詳細な記述に出会ったことはない。シンガポールの富裕支配層にのし上がるにはどんな商品を扱っていたのであろう?ずっと疑問に思っていた。
 当時、この地域の主要品目は天然ゴム・錫であり、これらは「英国東インド会社」の開発・独占である。後背地の決して大きくない当地域で、並みの商売では巨万の富はとても期待できない。久々に「プラナカン博物館」を訪れた。彼らのルーツ・歴史・ライフスタイル等が紹介されている。館内でオーストラリアの団体と一緒になった。オーストラリアから移住してきた女性がガイドしていた。しばらくそばで聞き耳を立てていた。
 「実はプラナカンの富の源泉は『阿片』でした。それを知りショックでした」と説明しているではないか。『阿片』は英国が茶・絹などの輸入で発生した対中国赤字解消のため、インド産『阿片』を売りつけたものである。『阿片』で病弊した中国は輸入を禁止、やがて英中間の「阿片戦争」となる。
 しかし、輸入禁止後も『阿片』は闇ルートで中国に届いていた。そのインドと中国を結ぶ闇ルート上にいたのが、ペナン・マラッカ・シンガポールのプラナカンたちであると彼女の説明が続く。輸入禁止後、当然価格は高騰していたはず。ならば巨万の富も可能か。元々、マレー半島・シンガポールはインドと中国の結節点にある。当時『阿片』と言っても「特別」なものではなかったのであろう。
 「クリーン・シンガポール」を掲げる当国としては、公にはしたくない歴史の裏側と推察できる。「阿片」惨禍の教訓であろう、今日シンガポール・マレーシアでは「麻薬所持」は「言い訳無用」の、即厳罰・極刑である。